1999年2月14日、午前零時45分

 

今、車の運転席に座りながらこれを書き始めたところだ。外は、マイナス5度ぐらいだろうか。この場所で車の流れがストップしてから30分は過ぎた。前の車は、ついにライトも消して、長期戦に入った構えを見せる。後ろの列には、煌煌とライトをつけ続けているの居れば、僕のようにスモールを付けたまま、暖をとるためのエンジンをアイドリングさせたままの車も居る.

 現在、午前0時45分。ここは、オハイオ州のケンブリッジという小さな町で、ピッツバーグから西に向かってオハイオ州の州都のあるコロンバスを通り、さらにインディアナ州まで東西に続くI70というハイウエーと、ノースキャロライナ州からウエストバージニア州を通ってエリー湖沿いのオハイオ州クリーブランドまで南北に伸びるI77というハイウエーの交差する町である。僕の車は、そのI70を西に向かっている途中、I77と交差した直後で止まったままになっている。

 昨日は、季節はずれの暖かさだったが、今日になって急に寒くなり、ちょっと雪がちらついていた。研究を終え、車に貼りついた氷を久々に砕いてから、いつもの金曜のように、僕はピッツバーグから車を西へ走らせたのだ。最初の1時間は快調だった。しかし、オハイオ州に入ったあたりから、急に激しい吹雪に見舞われた。視界がほとんど無くなる程だ。いつだったか、渋峠から猛吹雪の中を死にそうになりながらスキーをしたときのことが思い出された。しかし、そんな雪も収まり、さて、ようやく視界が開けてきたと思ったのもつかの間、今度は路面が完全に凍り付いてしまったのだ。今日は、氷点下に下がるか下がらないか程度の気温だったため、大抵の場合は、気温がもっと低いので、単なる粉にしかならない雪が中途半端に解け、路面に氷の層を作ってしまったのだった。あらゆる車は10キロ程度の速度に落ち、最後には文字通り、車の流れが凍り付いてしまったのである。締め切りですよ、と言われていたエントロピアのねたでも今日のドライブの最中に考えて、明日ゆっくりと犬たちと戯れながら原稿化しようと思っていた目論見が外れ、まさか車の中で原稿が書けるようになろうとは、予想もしていなかった。

 アメリカに来て買った車は、中古であったが僕にとっては始めての「自分の」車であった。92年式のホンダアコードである。日本ではそれほど多くは見ない車種なので、92年式のような古い型はほとんど見ることが無いだろうが、ここアメリカは、道路を見れば必ず視界に入ってくると言っても過言ではないほど、やたらに走っている人気車種である。しかも、古い車が多いので、92年式などは、まだまだ沢山元気に走っているのを見かける。僕の今使っている、Perlスクリプトの著者などは、77年式のアコードにまだ乗っていて、それはPerlよりも古いんだ、と自慢げに巻頭言で書いている。

 このアコードに続いて、昨年4月に2代目の車を買った.GEOのMETROという小型者の95型である。GEOは、トヨタとGMの合弁会社ということらしい。しかし、なぜかスズキ自動車の1リットルのエンジンを積んでいる。トヨタからの来ている人にそれを見せると、車の操作盤はトヨタ車のものだ言っていた。きっと電気系統はトヨタなんだろう。車の外観は、シボレー(GM)のキャバリエとかいう、所ジョージが宣伝していた車を一回り小さくして、ハッチバックにしたような車だ。日本車の信頼性(壊れにくさ)を持ちつつ、一応アメ車、といったところであろう。

 この2台目の車は、日本では車の免許を持っていなかった妻のためのものである。昨年の夏から、オハイオ州コロンバスにあるオハイオ州立大学(通称OSU)のロウスクールに通うことになってしまったので、妻専用の車が必要になったためである。OSUのあるコロンバスは、私の研究しているカーネギーメロン大(通称CMU)のあるペンシルバニア州ピッツバーグとは約320KM離れており、別居することになった。ちなみに、ロウスクールとは、アメリカの弁護士資格を得るために必ず卒業する必要のある、法律専門の大学院みたいなものである。日本は国家試験さえ通れば、どの学部を出ていようとルール上は弁護士になれるが、アメリカではこのロウスクールを出て、そして州の試験を通って弁護士になるらしい。アメリカは「訴訟社会」だ、なんて言う程なんでも訴訟になるためか、弁護士というのは沢山いる。面白いのは、弁護士の社会的な評判が、日本のように「先生」という敬称呼ばれるように、一応「尊敬」されている?職業なのに対して、アメリカでは、なんとなく「うまく口で言いくるめで稼ぐずるいやつ」とかいった、多少の軽蔑もあるような口調で語られることがあるようである。ロウスクール卒業したての駆け出し弁護士が、大企業の保険会社を相手取り、多額の賠償金を勝ち取るというストーリの映画「レインメーカー」では、弁護士をからかうようなジョークが随所に散りばめられており、映画館の聴衆達は大笑いしていた。妻が将来、そんな弁護士になってしまうのかどうかは不明であるが、とにかく私はピッツバーグに単身赴任中で、現在本宅のあるコロンバスに帰る途中のドライブの最中なわけである。

 この愛車のアコードは、走行距離64,000マイルで買ったが、現在100,000マイルにもうすぐ手が届くところまで来ている。こちらに来て1年半で約36,000マイル(58,000KM)程度走ったことになる。アメリカは高速道路が無料で、しかもガソリンがリッター当たり約30円程度なので、安くいろんなところに行くことができる。しかも、ニューヨークやロスのような特殊な大都市を除けば、渋滞なんて朝夕のラッシュ時だけで、あとは高速で結構早く移動できるのだ。

 始めての遠出、というのは、昨年3月に行ったニューヨークであろう。ニューヨークに慶應のニューヨーク学院、という中高学校があるのはご存知だろうか。そこは、アメリカのシステムに適合する学校として認められているだけではなく、慶應大学にも進学することができるという仕組みの学校であり、ニューヨークから北へ車で1時間程離れた静かな田舎にある学校である。そのニューヨーク学院に、進学説明会ということで理工学部の説明要員として行ってくれ、という指令が安西学部長から届いた。塾高出身の私にとっては、ある意味では後輩にあたる生徒達に、理工学部の説明をしに出かけるためにピッツバーグから約600KMのドライブをしたのである。こんなときはもちろん犬2匹を連れて出かける。アメリカの高速道路にも、サービスエリアのようなものがあり、そこは土地の余っているアメリカか、結構広い公園のようなスペースもあり、絶好の犬の遊び場になるようなところもある。また、家族連れがバーベキューをしている姿も見かけることがあるぐらいだ。そんなサービスエリアで犬を遊ばせながらの長距離ドライブもなかなか楽しいものである。このニューヨーク行きでは、犬たちも世界のセントラルパークでの散歩ということで、いつになく興奮していた(単に久々の散歩だったからか?)ものである。

このような遠出に気を良くし、これまでに、ナイアガラの滝、フィラデルフィア、ワシントンDC、等、米国東海岸の幾つかに出かけたが、昨年末には、はるばる米国大陸の最南端、キーウエスト制覇を達成した。当初は、フロリダ州の真中にあるオーランドまで遊びに行く予定にしていたのだが、ここまで来たんだから、ということで思い切って行ったのである。

車なので、犬と一緒に動けるのは良いのだが、犬の存在により、宿泊場所に制限が出来てしまう。ホテルによっては、犬不可、というところも多く、特に都会部だと犬が一緒に泊まれるホテルを探すのに、何件も回ることもある。このフロリダ行きの時は、前回のオリンピックの開催地アトランタで泊まったが、この時も、何件か回った。しかし、この時に泊まったホテルのチェーン「La Quinta」は、犬OK、というのがポリシーらしく、このチェーンホテルを見つけたのは今後のドライブへ向けての大きい収穫でもある。

 さて、キーウエストでは、12月末だというのにもちろん暖かく、海に入った。犬も無理やり投げ込んだ。ヘミングウエーの住んでいた家とかいうのも一瞬見た。しかし、このような観光地では、犬不可のホテルしか見つからず、残念ながらキーウエストに滞在することはできなかった。

 ジョン・エルウエー率いるデンバーブロンコスが先日のスーパーボウルで2連覇を達成したマイアミであるが、ここの治安は相当悪いらしい。企業からCMUに来ている人の話だと、マイアミには出きるだけ行かないように、という社内通達さえ出ていると聞く。(ちなみに大学ではそのような通達は無い。以前、国際会議でエルサレムに行ったが、その会議には社内通達で行けなかった人もいたと聞いた。)その証拠か、夜のス−パの入り口には、銃をぶら下げた警備員が居て緊張しているなど、3人ぐらいの従業員で深夜時間営業しているスーパーに、気軽に買い物に行けるピッツバーグぼけした私には、びっくりするような光景も見られた。

 そんなフロリダから、大晦日に本宅のあるコロンバスに戻ってきたが、いきなりの雪だった。それから1月の始めは相当な雪と寒さだった。その雪を除去する車と、凍結防止のために撒かれる塩のためか、舗装が壊れ、道の至るところに大小の穴ができたものである。走行中にその穴にはまり、タイヤをパンクさせた人も少なくなかったようである。幸いなことに私は例外であった。

 その雪と寒さが、最近になってようやく緩んできたか、と思って油断していたら、そう、この有様である。このまま、いつになったら動くのか予想もつかない。さっき、除雪車が前の方に走っていたが、どうなることやら。。。時刻は1時をとっくに回っている。

 この先が通行止めになったのかもしれない、などとも思われるが、何の情報源も無い。ラジオでも特にこのことは言ってない。アメリカは車社会ではあるが、車に乗っているときに入手できる道路情報が極端に少ない。日本が異常なのかもしれないが、日本のあの環境になれてしまうと、この情報量の無さには、苛立ちを感じることもある。

 朝の渋滞情報は、地名を言うだけで終わる。最初は、英語の聞き取りの問題との相乗効果で、何を言っているのかが分からなかった。しかし、そのうち、「高速南線はグリーンツリーヒル、、、、(から中心まで渋滞)」と早口でまくし立てているだけ、ということが判明した。もちろん、首都高にあるような電光掲示板のようなものは全く無いし、いわゆる「高井戸−霞ヶ関30分」はおろか、渋滞10KM、といった情報を聞いたことが無い。ニューヨークから夕方帰る時に、マンハッタン島からニュージャージへ抜けるトンネルまで30分ぐらい並んだが、その時だって、いわゆる渋滞情報を入手することはできなかった。まあ、渋滞中に、「渋滞中」という表示を空しく見るよりは、合理的といえば合理的ではある。

 しかし、そんな情報不足の影響をもろに受けたのが、ピッツバーグからコロンバスへの引越しの日であった。私がトラックを運転し、免許取りたての妻の運転するMETROと共にコロンバスへ向かったのだが、ピッツバーグを出る際に、いつもなら5分で抜けられるトンネルの前から込んできたな、と思ったら、ぴたりとも動かなくなった。待つこと3時間。ようやくトンネルの先に来たと思ったら、なんと、その先は工事で通行止めになっていたのである。(それで、その日の引越しは次の日に延期になった。)恐ろしいのは、通行止めの掲示が、通行止めの寸前の地点になるまで無いということである。日本であれば、高速が通行止めになるときは、電車の広告やテレビラジオで「○月×日は首都高改良工事のため△線は通行止めです」といやと言うほど刷り込まれたような気がするが、アメリカではそんなことは無いのだろうか?単に、テレビでは映画やドラマしか見ていなかったのが悪いのか。。。。

 いや、テレビは結構な情報を流している。雪がひどかったときには、地元の各種学校の休校、授業休止情報を流していたし、雪がひどいときは外出しないように、と言ってくれるし、トルネードが来たときも注意を呼びかけていた。生命に関わる情報はちゃんと伝えてくれるのだ。

 道路情報の少なさは、それが必要とされない、ということから来るのかもしれない。最近、日本ではカーナビが結構普及していると聞く。しかし、こちらでは見たことも無いし、売っているのを見たこともない。まあ、買おうとしないから目に付かないのかもしれないが、先日日本に一時帰国した際に、隣に座った人がカーナビをアメリカに売る仕事をしているらしく、日本と違って必要性が少ないので、売りこむのが大変だ、とぼやいていたのを思い出す。この背景には、「俺立ちフロンティア魂には、案内は不要だせ」といった熱い思いが感じられる。

 ちょっと不満を言っているように聞こえるかもしれないが、それは今、ちょっとしたトラブルに遭遇しているからである。しかし、こんなトラブルも差し引いてもお釣りが来るぐらい、こちらの滞在を楽しませてもらっている。あと半年しか居られないのが悲しいほどである。ロウスクールを卒業するまで、更に2年間アメリカに住んでいられる妻がうらやましくてしょうがない。

 お、車は動き始めたようだ。さっき先に行った除雪車が氷を砕いてくれたのだろうか、ゆっくりと車が流れ始めた。もう、1時半を回っている。いつもなら、家に着いている時間である。

 今週は、気分が乗ったのと、現在構築中のシステムを完成させてデモ用のデータを2月末までに作成するというノルマを金出先生から与えられたこともあり、午前中まで研究室にいてプログラムを書いたりしていた。泊まりを楽しんでいた学生時代が懐かしく感じられる。しかし、終電というものが存在しないので、いつでも帰れるため、決して本当の泊まりにはならないのは非常に快適である。構築中のシステム(http://www.cs.cmu.edu/~VirtualizedR/3DRoom/)というのは、カメラを部屋の壁、天井の至るところに取りつけて(49個)、それらの画像をPCでリアルタイムに取り込み、部屋に居る人などを全て計算機内で3次元再構築しようとするものである。49個のカメラからの画像を扱うのは、配線も含めて非常に大変である。昔、交流磁界CTを作るために、64個のコイルを作って、それぞれの電圧を増幅するアンプと作ったりしたことが思い出される。49個ものカメラからの3次元再構築は、計算量がとても多くなるが、そのうち4つだけ選んで、リアルタイムで再構築する、ということも手がけ始めた。今日、そのデモプログラムが、一緒に研究をやっている香港出身の学生と共に、今日、出来上がったばかりである。出来上がったときの彼は、本当に嬉しそうであった。

 最後に最近の研究を宣伝したところで、ようやくゆっくりながら車が流れ始めた。いつもなら70マイル(約110KM)で走れるところが、40(約60KM)マイルが限界である。これ以上スピードを上げると、車のが左右にすべり始めるので危険な感じだ。さて、これからまだ、100マイル(約160KM)近く残っている。さて、いつになったら本宅のコロンバスにたどり着けるのだろう。幸いなことに、視界も良好で、雪も降っていない。安全運転を心がけて、これから家路につくことにする。
 

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Author: Hideo Saito 
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