悪運だけの人生 (その2)
野村総合研究所 |
92年10月 (内定式) |
気合を入れて茶色のダブルのスーツで会社を訪れるが、集合時間を間違え4時間も早くついてしまう。幸か不幸か人事部は一番最初に到着した者に代表スピーチをすることを決めていたといって、初っ端から内定者の前でスピーチをさせられる。 |
技術開発本部オープンシステム技術部ネットワーク技術課 |
93年4 月~(研修) |
研修の一貫で日経新聞プレゼンがあり競馬記事を取り上げるが、当時の人材開発部(留学予定者が社内講師)と好みが会わず、研修最終日までもめる。C言語研修では、mainだけの巨大プログラムを書いて違った意味で認められる。 |
93年7月 ~(配属) |
マウスの使い方もしらない自分が電気工学科卒というだけで、なぜか技術部に配属させられる。「先輩、これ以上線が伸びません!」といって画面中央でとまっているマウスポインタを指して叫ぶとよく頭を殴られた。 |
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(初仕事) |
現場配属当日の朝、挨拶回りしていると、課の先輩に“腕”立て伏せの司令を受けるが、ムキになって“指”立て伏せで強がって見せる。これがNRIでの初仕事となり、社内ニュース“新人君、初仕事はなんと腕立て伏せ”に掲載される。 |
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(課定例) |
初めての課定例の朝、寮のトイレで一晩酔いつぶれていた自分に気が付く。スーツに着替えて出勤しようとするが、ネクタイを絞めた時点で、このままでは間に合わない事を悟る。ネクタイはそのまま自転車用パンツを履き、スーツをバックパックに入れ愛車(ロードタイプ自転車)で会社を目指した。途中、単パン、ネクタイ、革靴姿の自分に視線が集まることを感じるがインストラクターの「とにかくすぐ来い」の声が頭から離れず、また前日の酔いが苦痛を感じる神経を鈍らせ、ペースは衰えなかった。会社の裏庭の陰でスーツに着替えたつもりだったが、2階の応接室からは丸見えだったことに後で気づく。最初の課定例は二日酔いと全力疾走の疲れで内容は記憶に無いが、定例後にキングジムでインストラクターに叩かれた頭の痛さだけは、何年経っても残るであろう。 |
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流通産業システム本部流通システム2部 |
94年4月 ~ 97年3月 |
冬場スキー場に入り浸ったりすぎたせいか、昼間から仕事の途中でエグザスで汗を流し過ぎたせいか、配属後1年未満で飛ばされる。懲りずに2年目の冬も長期休暇を頂き、その隙にスキーの正指導員の資格を取得する。新人の頃から自転車の6時間耐久レース(筑波サーキット、伊豆修善寺)に参加することで長距離の魅力にハマリ始める。横浜から清里まで14時間かけて走ってみるが、疲労のためか翌日鼻血を出す。 |
流通産業システム本部流通新システム推進部 |
97年4月 ~ 99年8月 |
冬季の仕事に力を注ぎすぎた為か、冬季職場のお客さんと結婚することになる(プロジェクトが暇な数ヶ月の間に出会いから結納まで凝縮)。披露パーティでは嬉しさの余りはしゃぎ過ぎ、途中から記憶を無くす(2次会に行けずに看病していた事、妻未だに根に持つ)。更に、予備校通いと妊娠が発覚した事により、新婚旅行が夢となる。受験が一段楽し、その隙に一人でスキーに行くが、罰があたり弁慶の泣き所を折る。2ヶ月程在宅勤務&看護(妻の本職)を受ける事になり、引越し準備も自分でまともにできず、妻に頭がますます上がらなくなったところで渡米。 |